NERDY

しがないマーケターが書く戯言。

純ドメ30代の僕が、英語でプレゼンできるようになるまで

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留学経験なし、純ドメ田舎者の僕にとって、英語はコンプレックスだった。でも32歳の今、かなりそのコンプレックスを克服しつつあると思う。道端で外国人にいきなり話しかけられてもオドオドすることもなくなったし、仕事で英語を使うことも増えてきた。

今回は、勉強法やノウハウ的な話はほどほどに、ただひたすらに今までの僕の英語学習の歴史を書き留めたい。

同じように英語に対してコンプレックスやアレルギーを持っている人の参考になればと思っている。英語は日本語と同じ言語だ。ネイティブレベルを目指さないのであれば、ほとんどの人が話せるようになるのだ。

高校時代

話は高校時代まで遡る。僕は英語がとっても苦手だった。というか当時は野球に明け暮れて勉強を全くと言って良いほどしていなかった。

それほど難しくはないはずのセンター試験の英語は、本番でなんと50%の得点率だった。これは、国公立大学にはどこにも合格できない点数である。

今思えば、勉強のやり方が本当にひどかった。英語は単語と文法を覚えるものと思い、問題集を漠然と解いているだけだったし、単語を語呂合わせで覚えようとしていたこともある。そんな方法で英語力が伸びるわけもなかった。

案の定、僕はどこの大学にも合格することができず、浪人することになった。

浪人時代

浪人は自分の人生の中でもなかなかの暗黒時代だった。コンプレックスの塊だったように思う。特に受験の失敗を経験し、英語へのコンプレックスが強く刻み込まれたのはこの時期だったのかもしれない。今から思うと思う存分勉強できてありがたい時間だったのだけど。

この時、様々な勉強法の本を読み、勉強法を大きく変えた。英語も然り。

まず、細かい文法ではなく、基本文型を学んだ(大岩秀樹さんの『いちばんはじめの英文法』はかなりよかった)。SVOCといった基本文型を理解していることは、とても重要だった。

そして、Z会『速読英単語』を音声を聴きながら毎日音読&シャドーイング

速読英単語を何度も音読した後は、有名な『DUO3.0』を音声を聴きながら何度も音読&シャドーイングをした。移動中もウォークマンで『DUO3.0』を聴き続けた。

DUO 3.0

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Posted with Amakuri at 2018.9.5

  • 鈴木 陽一
  • アイシーピー

 

浪人時代は、とにかく英文を何度も聴き、音読し、その中で単語や英語のリズムを習得することに注力した。これは僕の英語力を大きく伸ばしてくれた。

その結果、2回目の受験の時にはセンター試験は得点率90%で、難関といわれる関西の国立大学に合格することができた。

ただし、英語力を伸ばしたと言っても、当時の英語力は「テストを解くための英語力」であり、スピーキングは全くやったことがなかった。

大学時代

大学時代、僕はまた懲りずに体育会系の硬式野球部に入り、毎日練習と試合に明け暮れていた。そのため、最近では多くの大学生が経験する留学というものを全く経験することがなかった。

というか、留学に全く興味もなかったし、バイト代がもったいないだけだとすら思っていた。今思えば非常にもったいない。

ただ、英語のコンプレックスは相変わらずもっていたので、一時期TOEICの勉強をしていた。大学受験の際の『DUO』の音読&シャドーイングによる点数アップという成功体験を持っていた僕は、同じようなTOEIC頻出の例文集を購入し、音声を聴きながら音読&シャドーイングをしまくった。

TOEICテスト出まくりキーフレーズ 【CD付】

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Posted with Amakuri at 2018.9.5

  • 高橋 基治, 武藤 克彦, 早川 幸治
  • コスモピア

 

その結果、1度だけ700点というスコアをとった。今思えば、700点という点数は大したことがないのだが、当時はそれに満足して勉強はストップしてしまった。

社会人初期

大学を卒業して事業会社に入社した。入社から5年くらいはなかなかの激務で生きるのに精一杯だった。英語のことなんて全く考えなかった。

この頃、僕の英語力は落ちに落ちていた。社会人34年目くらいの時にTOEICを受けてみたときは500点台だった。

ただ、25歳の時、初めて海外旅行に行った(お恥ずかしい話、それまで海外旅行というものに行ったことがなかった)。まあ海外といっても台湾を一人旅したくらいなのだが。純ドメ田舎者の僕にとっては大きな1歩になった。

転機になった29

大きな転機になったのは29歳の時だった。休暇を利用して、1週間だけの超短期でフィリピン・セブ島留学に行った。その頃は英語は全く勉強していなかったが、自分のキャリアに悶々としていて、何か新しいことに挑戦してみたかったのだ。

1週間の留学くらいでは残念ながら英語は身につかない。でも、海外で、全く異なる環境で学ぶ楽しさ、そして英語でコミュニケーションを図る楽しさを知った。それから、ペーパーテストのための英語ではなく、話せる英語力を身に付けたいと思うようになった。

ただ、同時に英語はあくまでもコミュニケーションツールであり、英語が話せるからといって素晴らしい人材になれるわけではないというのも理解していた。

だから、英語を使わざるを得ない環境で、かつそれまでのマーケティングの経験にアカデミックな専門性をプラスするという意味で、海外のオンラインMBAコースを受けることにした(入学が30歳の時)。

また、会社も外国人とのコミュニケーションがある会社へと移った(正確には転職ではないのだが)。

この29歳からの数年で、僕の英語人生は大きく変わったのだ。

大学院入学から卒業まで

大学院入学前から、もちろん就学中も、英語は常に少しずつ勉強していった。英会話スクール、スカイプ英会話、瞬間英作文アプリなどを使って、地道にアウトプットを重ね、英語力を上げていった。(詳しい勉強法はまた別の記事で)

大学院は、日本語の授業もあったが、英語のレポートを書く機会も少なくなかった。

そして、ついに32歳で卒業を迎えた。

大学院ではオーストラリアの現地プログラムで、ビジネスプランのプレゼン(もちろん英語)もやったし、仕事でも外国人のマネージャー陣を相手にセールスプロモーションについてのプレゼンを行えるようになった。

TOEICの勉強は注力していないが、それでもスコアは800を超えた。

センター試験の英語が5割しかとれなかったあの頃の自分は、なんだったのかと思うほどだ。

*** 

英語は日本語と同じ語学だ。一定の時間を投資すれば、純ドメ留学経験なしの田舎者でも話せるようになる。

もちろん、まだまだ「流暢です」と言えるレベルではない。

海外にキャリアを広げることを目標にし、もっともっと英語力をつけていきたいと思っている。