ただ意見を言うことは議論じゃないし、愚痴を言うだけなんてなおさら無価値だよね。という話。
大学院の講義で、「議論する力とは何か」について議論する機会があった。僕はわりと大きな企業で働いてきて、いろんな部署や組織に属し、会議というものには数え切れないくらい出てきた。その中で、議論には価値ある発言と価値のない発言が明確にあると思っている。
価値の低い発言
何も発言しない
これは自戒の念を込めてだが、何も発言しないことは存在しないことに等しい。何でも良いので言えば良いというものでもないことも確かであるが、よい案が思い浮かばない会議では、つい黙ってしまうのは僕の悪い癖なので気を付けたいものだ。
感想だけを言う
議題に対して、アイデアを言うわけでも、誰かの意見に賛同や否定をするわけでもなく「〇〇と思いました」という感想を述べるタイプ。この発言は議論を進めるわけではないので価値は高くない。
意見を否定だけする
他人の意見やアイデアを否定だけするパターン。「〇〇は微妙だよねー」「意味わかんないね」「やる意味ないよね」と否定の言葉だけで、明確な根拠がないので建設的でなく、感想を言うだけと非常に近い。こういった発言だけをする人は一見賢そうに見えることもあるが、全く価値を生み出していないし、愚痴を言っているだけのように見えることもある。
価値の高い発言
論理的に意見を言う
発言が否定的であっても、賛成意見であっても、根拠があれば発言の価値は飛躍的に上がる。他の議論参加者の考え方に影響を与え、議論のゴールの推進力になるからだ。そしてその根拠は、経験だけでなく、数字や客観的な事象に基づいているとさらに価値が高いだろう。
代案がある意見を言う
さらに、代案がある意見は非常に価値が高い。ある意見に対して、「〇〇な理由で〇〇があると良いと思います。具体的に案を作ってきました」という代案は、議論をゴールへ一気に加速させる。
議論をまとめる
全員が1つの方向性に賛成できる論拠が揃えばいいが、実際の議論というのは明確に数字で示せるものとは限らないし、「どの意見も一理ある」と行き詰まってしまうことは往々にしてあるだろう。その際に、「今までの議論を踏まえると、全体としては、〇〇が良いのではないでしょうか」と議論を昇華させられる人は貴重だ。
結論を出し責任を負う
そして、最後に、「では、〇〇でいきましょう!」と結論を出せるかどうか。議論することにおいて一番価値が高い発言だ。なぜならそれが議論をするゴールであり目的だからだ。その会議に明確な決裁者がいて、決裁者が全部決めてくれれば良いが、必ずしもそうとは限らない。多くの人が、発言や決定事項に責任を負うことを恐れる。だから、否定意見を言うだけの人が多いのだ。
まとめ
僕は、最後に結論を出して責任を負える人の価値が、組織で議論するということにおいて、どんな意見よりも一番高いと思っている。否定意見や愚痴を言うだけなんて、価値はない。自分がそうなっていないか、反省したいものである。
最後に、大前研一氏が議論する力において言及している論文の要旨を紹介しておく。
大前研一「議論する力」ハーバード・ビジネスレビュー(2004年12月)
・ロジックは世界共通のプラットフォームであり、世界の共通言語は、英語ではなく「ロジック」である。
・論理的な議論を担保するための「質問する力」、それに伴う「聞く力」「説く力」が重要である
・傾聴すべきは「何を」言ったかである。「何を」という一点に意識を集中すれば、議論すべき事柄の輪郭が明らかになり、やがては本質がめてくる。
・ビジネスの現場では、基本的に職位より真実が優先されるべきである。そのために議論するのだ。しょせん、ツルの一声は強権の発動にほかならない。