しがないマーケターの戯言

読んで学んで、物を書/描く。

近くて遠い東京と上海

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2021年8月、上海で働く僕は夏休みを兼ねて約1年半ぶりに日本へ一時帰国をした。コロナ以降、日本でも中国でも入国の後2週間の隔離生活が必要になり、仕事や日常の生活に大きく影響するため多くの在中日本人は簡単に帰国できない状態が続いている。今回はそんな中でも会社から許しをもらっての念願の帰国だった。

今回の一時帰国で感じたことを徒然なるままに書き留めたい。

帰国までと日本のコロナ対策

冬に比べ、夏頃にはコロナの情勢が落ち着くかもしれないと思い、この時期の帰国を決めた。隔離期間などに優遇があるかもしれないという噂もあり、事前に中国でシノファーム製のワクチン接種を終えて準備をした。

その思いとは裏腹に、8月の日本ではコロナの新型・デルタ株が猛威を振るい、僕が帰国中の間、何度も過去最高の感染者数を叩き出すというなんとも運の無い形になってしまった。

そんな状態もあり、1年半ぶりの帰国は手放しで楽しめる状態ではなかった。それでも、東京に到着し、周りから自然と日本語の会話が聞こえてくる生活は、それだけで落ち着いた。コンビニで店員さんに「你好」と挨拶しようとして思いとどまったことは何度もあったが。

海外からの渡航者に対する日本の水際対策はゆるいと言われている。中国では海外からの渡航者に対して非常に厳格な2週間の隔離生活を求める。政府が手配したホテルでの生活を強いられ、1歩たりとも外に出ることは許されない強制隔離だ(地域や時期によってルールは異なる)。

それに対し日本の場合は、2週間の隔離生活を求めるものの、場所は自分で手配して良いし、自宅での隔離も許される。専用アプリで毎日の健康状態やGPSやAIによる通話により居場所の報告は求められるが、少し外に出るくらいは特に問題がない。

こういった日本のゆるい対策に、日本では批判の声も多い。現にこの8月は、コロナを鎮静化するどころか、逆にこれまでにないほどの感染拡大を許してしまっている。

しかし、僕が日本に入国した際の対応・体制は非常にしっかりとしたものだったように感じられた。入国後、隔離期間のルールや専用アプリの使用方法もスタッフが入国者1人1人に丁寧に説明し、設定をサポートしていた。若いスタッフや外国人のスタッフも多く、あらゆる層の入国者に対応する体制が整っていた。

この体制を作るのは、きっと大変だったと思う。日本全体の対策はゆるいかもしれないが、それでも現場で実務をされているスタッフの皆さんには感謝の言葉しかない。

「必要なぶんだけ」の美徳

僕はまだ海外在住歴2年ちょっとの経験しかないが、それでも改めて外から日本を見ると色々なことに気づく。例えば、日本には「ミニサイズ」のものが多い。代表的なものはスタバのコーヒーにある「ショートサイズ」だ。僕が知る限り、日本以外の国のスタバにショートサイズはない。最小はトールサイズだ。久しぶりに飲むショートサイズのコーヒーは、記憶にあったイメージより小さく感じた。でも本でも読みながら少し喉を潤したいような時にはこのサイズくらいがちょうど良くも感じる。

他にも、セブンイレブンで見かけた小鉢サイズのサラダシリーズや、その他コンビニで並ぶ小さく小分けにされたお菓子や、東京駅で見かけたお土産のお菓子も小さく可愛いパッケージに包まれていた。立ち並ぶビルやマンションもそうだ。中国ではとにかく大きいビルやマンションが多いように感じる。集合住宅にはお城のような立派な門が立っているのも珍しくない。一つ一つの部屋も基本的には広めにできており、日本のように1人暮らし用の小さなアパートはあまりない。

だから何?と思われるかもしれないが、僕はこれは日本の「必要なぶんだけ」の美徳が根底にあると思っている。

必要以上に大きかったり豪華だったりするものは、日本人の多くは必ずしも好ましいと考えない。「もったいない」という他の言語では訳しにくい言葉も日本語にはある。

一方で、中国には「面子」という他人からの目を気にする文化があると言われている。なんでも大きく、たくさんあって、豪華なものを手に入れる/提供できる方が良いという思想は現代でもやはりあると思う。これは日本人と中国人の考え方の大きな違いだ。

どちらが良い悪いの問題ではないが、僕は日本のショートサイズのコーヒーを見ながら、これは日本人の美徳だと思うようにしている。

世界トップレベルの接客力

もう一つ、日本に帰って、改めてサービス業における世界トップレベルの接客力、おもてなし力を感じた。もちろんお店やそれぞれのスタッフによって差はあるものの、飲食店やコンビニも含めて、その辺にあるお店の店員さん達は皆丁寧に対応してくださる。

例えば日本のレストランで、注文しようとしたものが品切れだったとする。きっと多くの店員さんは「すみません、品切れておりまして…」と申し訳なさそうにそれを顧客に伝えるだろう。「こちらでしたらご用意できますがいかがでしょう」くらい言う店員さんがいてもおかしくない。これが中国なら、悪びれもなく「没有(ないよ)」の一言で終わる(ことが自分の経験上多いと思う)。そんな些細な対応をとっても、日本の接客のレベルは高い。

一方、日本の消費者側がこれに慣れてしまっていることは少し歪みも生んでいると僕は思う。ある観光スポットにあるスタバに入ると、50-60歳くらいの男性が店員さんに激しいクレームをつけていた。聞こえてくる会話から察すると、店員がドリンクのサイズを間違え、それに対してお怒りのご様子だった。「雰囲気がいい場所にあるからわざわざ来たのになんだその対応は!あんた怒られたことなんてないんだろ!」と若い女性の店員に怒鳴っていた。その後ろでは僕を含めて数人がレジに並んでいた。正直うんざりした僕は、つい大きなため息をついてしまった。それがその男性に聞こえてしまい、僕もその男性に絡まれ、非常にめんどくさいことになってしまったのだ。

世界トップレベルの接客レベルを持つ日本で、その中でもスタバは特に丁寧な対応をする企業だ。そのスタッフに対して、ドリンクのサイズ違いと態度くらいで、他の客に迷惑がかかるくらいクレームをつけるなんて、正直どうかしていると僕は思う。中国なら「啊?稍等(え?ちょっと待ってください)」で無愛想に対応されて終わりだ。

日本の接客レベル、おもてなしは世界に誇れるものがある。しかし、同時に僕たち日本人はそれに慣れすぎるのも良くないと思うのだ。客は別に神様ではない。

人生で大切なもの

1年半ぶりの帰国。僕はこれまで人生でこんなに長期に外国に滞在したことがなかった。コロナの状況が酷かったこともあり、一部の友人や親戚には会うことすらできなかった。でも家族や友人など、一部の大切な人たちに会うことができた。

日頃は毎日の仕事に忙殺されて考える余裕もないが、こういう機会があると、人生で本当に大切なものに気付かされる。もしこのままのペースで働いたら、もう60歳を越えた母親に、数えるほどしか会えないかもしれない。90歳を過ぎた祖母と会えるのは、これが最後になっても何らおかしくはない。

健康と家族・友人との時間。これ以上に大切なものはこの世に存在しないと思うのだ。

上海に戻る成田空港では、いくつかの家族が涙のお別れをしていた。今中国に渡って働くことは、またしばらくそう簡単には帰国できないということだ。

東京と上海は飛行機でほんの3時間ほどの距離だ。新幹線で東京から大阪に行くのとほぼ変わらない。外国といえど、平時であればとても近場な距離にある。でもこのほんの3時間の距離が、今はとてつもなく遠く感じる。1日でも早く世界が正常化することを、切に願うばかりだ。