しがないマーケターの戯言

読んで学んで、物を書/描く。

体育会系の「上下関係」と「年功序列」は同じか

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僕は小学生の頃から大学4年生まで、野球をかれこれ13年間もやっていた。正直野球が大好きというよりは、一度やり始めたら上手くなりたいという気持ちが満足することはなく、大学生まで続けてしまったという感じだ。

他の野球部員と違って、観戦はほとんど興味がなく、プロ野球も甲子園も見ない。周りからは「ほんとに野球部出身なの?」と疑われるほどだ。

もちろん、野球からは非常にたくさんのものを得たし、良き仲間もできた。自分にとってはかけがえのないものであり、感謝してもしきれない。

体育会系の上下関係の厳しさ

ところで、想像に難くないように、体育会というものには、強い上下関係がある。野球部では特に、それが強いように思う。先輩の言うことは絶対だ。高校1年生の頃の3年生なんて、神様のような存在だった。

僕が在籍していた大学野球部では、暗黙の了解として、「先輩と後輩が食事をした時には、先輩が(すべて、もしくは大部分を)奢る」というきまりがある。例えば、大学の食堂で一緒に食事をしても先輩が奢る。飲み会もそうだ。別に収入に差があるわけではないので不思議なものだ。

そしてその関係は、卒業してからも続く。この年末年始も、大学の後輩たちと飲む機会があった。その場でも、年次が高い方から2~3人ですべて支払う。後輩は、「ありがとうございます!」と言う。我々(先輩たち)は、「うっす」とかっこつけた返事をする。

別に「年齢が高いほうが偉い」と思っているわけではない。まあ、考え方の癖というか、文化的な思想という程度のものだ。理屈で考えれば、年下だろうが年上だろうがフラットな友達のような関係のほうが楽しめるのかもしれない。

でも事実として、僕は野球部という環境で育ち、先輩は絶対だ。野球部外でも、年上の方には必ず敬意を示す癖が染み付いている。そんな関係性のコミュニティが、自分の中にあっても、それはそれで良いと思っている。

「先輩は絶対」の矛盾

ちなみに、部活動での上下関係の厳しさと、企業の「年功序列」は、「年上が利益を得る」という面では共通だが、本質は全く違う。部活動でのコミュニティでの上下関係は絶対だが、試合に年功序列は絶対に適用されない。勝つことを目的とした部活動であれば、だ。

「試合には、上手い選手が出る。それ以外は補欠」

恐ろしい程に単純で、実力主義以外の何ものでもない構図がそこにはある。

今までレギュラーであっても、調子が悪ければ、レギュラーは落ちる。新入生であっても、上手い選手が入ってくれば、上級生でもベンチに下がる。

でも、試合に出たから偉いか、というのは違う。試合に出ている後輩は、試合に出られず、ベンチで声出しをする先輩を敬う。理由なんてない。その人が「先輩」だからだ。

部活動で、特にチームスポーツに打ち込んできた人たちは、時には残酷すぎるくらいの実力主義の中で生きる経験をしている。そのバランスをとるために、試合以外は年齢で上下関係を決めるという構造が存在しているのかもしれない。

 

大学時代の野球部の後輩と飲んだ帰り道、ぼんやりとそんなことを思った。