しがないマーケターの戯言

読んで学んで、物を書/描く。

苦労は本当に役に立つのか?

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「ハードな環境に身を置いて、成長したい」

「無理せず穏やかに過ごせる環境で楽しんで生きたい」

僕はいつも2つの気持ちの葛藤の中で選択をしてきた。きっとこれからもそうだろう。「苦労が人を成長させる」なんていうけれど、本当に苦労をすることが良いことなのだろうか?人生は短い。「将来のために」と苦労をして、楽しみを先に伸ばし、それで明日交通事故で死んでしまったら元も子もない。

でも、自分はこれまで比較的ハードな環境を選択することが多かったように思う。自分でもなぜかわからない。小学生の頃から、大学生を卒業するまで13年間、野球部に所属し、それなりに厳しい練習をこなしたし、受験勉強も自分なりに追い込んで励んだ。社会人になってからも、最初の広告制作系の部署の仕事は激務で、月に100時間以上残業することも珍しくなかった。

確かに苦しい環境を乗り越えることは自分の自信にもなっているような気がする。でも事実として本当にそうなのだろうか?そう思うことで自分を納得させているだけではないのか?苦労なんてしないに越したことはないという考え方だって一理ある。

 

スタンフォード大学の健康心理学者、ケリー・マクゴニカル「スタンフォードのストレスを力に変える教科書」を読んだ。

この本の主張はこうだ。

ストレスはそれ自体よりも「ストレスは健康に悪い」と考えることが健康へのリスクを高める。「ストレスや不安はやりがいのある仕事にはつきものだ」と認識することが逆にパフォーマンスを高める。「ストレスは害だ」というこれまでの研究のほとんどはラットを用いた実験で、電気ショックを与えたり、水に長時間つけたりするなど人間に置き換えると拷問レベルのストレスであり、仕事のストレスとは程度が違いすぎて必ずしも一般的な人に当てはまらない。

そして、このような「ストレスは役に立つ」というマインドセットをもつことで、人はストレスを力に変えることができる。

・ストレスがあったほうが、パフォーマンスや生産性が向上する

・ストレスがあったほうが、健康や活力の向上に役立つ

・ストレスがあったほうが、学習や成長に役立つ

・ストレスにはよい効果があるため、利用すべきだ

どうやらストレスというのは時にはプラスに働くらしい。また、本書によると、ストレスに対する人の反応は「チャレンジ反応」「闘争・逃走反応」の2つがあるらしい。

ストレスはあってもそれほど危険でない場合いは、脳と体は「チャレンジ反応」という別の状態に切り替わります。「闘争・逃走反応」と同様に、「チャレンジ反応」が起こると力が湧いてきて、プレッシャーのかかる状況でもやるべきことをやれるようになります。心拍数は上昇し、アドレナリンが急増し、筋肉と脳にはエネルギーがどんどん送り込まれ、気分を高揚させる脳内科学物質が急増します。しかし「チャレンジ反応」には、「闘争・逃走反応」とは異なる重要な点がいくつもあります。まず、集中力は高まりますが、恐怖は感じません。数種類のストレスホルモンの分泌される割合も異なり、なかでもDHEAの割合が高くなることは、ストレスから回復したり学んだりする助けになります。

ストレスによって、「チャレンジ反応」を引き出すことができると、それは僕たちにとってプラスに作用するようだ。さらに、ストレスを経験することでストレスに強くなるという作用もある。

そのためNASAの宇宙飛行士や、救急隊員や、トップアスリートをはじめ、強度のストレス下で任務を果たすべき人たちには、ストレスを経験することが重要なトレーニングのひとつになっています。(中略)ストレスを経験することでストレスに強くなるのがわかると、新たなストレスに直面しても苦にならないかもしれません。実際にストレスを経験しても、そこから学ぶべきことがあると思っていると、体のストレス反応が切り替わり、「ストレス免疫」の効果が高まります。

 

僕は30代になってから、英語環境での仕事を経験したり、働きながら大学院を卒業したり、新しい環境で、そして負荷がかかる環境に挑戦する機会に恵まれた。今は中国の会社へ出向して中国語ゼロの状態から、中国人の同僚や上司と仕事をするようになった。正直、これらの挑戦はハードだ。逃げ出したくなることもある。

でも、このようにたくさん難しいこと、ハードな仕事、新しいことに今の自分が挑戦できるのも、昔の自分がストレスと向き合って頑張ってくれたからかもしれない。あの地獄のような高校球児の毎日はもう二度と経験したくはない。もっと野球の代わりに勉強を頑張っていればと思うこともある。

でも、あれはあれできっと意味があったのだ。そう思うようにしたい。