しがないマーケターの戯言

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英語やプログラミングを学ぶ意味は何か|ゼロヒャク教科書

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落合陽一さんの「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」を読んだ。本書は、一言で言うと「教育者としての落合陽一さんの頭の中を覗ける1冊」だと思う。

本書の内容

・人生100年時代と言われる今、人はなぜ学び続けなければならないのか

・英語やプログラミングを学ぶことの意味は何か

・落合陽一はどのような教育を受け、進んで来たか(幼少時代から現在まで)

STEM教育時代に身につけておくべきことは何か  ・・・など。

 

こんな方におすすめ

・生涯教育として、大人になってからの学びについて知りたい方

・自分の子どもの教育について視野を広げたい方

・何らかの形で教育に携わっている方

 

印象的なことと考察

 

学校で学ぶことの意味とは?

僕が序盤で最も共感を覚えたのは、「学校で学ぶことの意味」が語られていたところ。

筆者によると、教育には「コンテンツ」「トレーニング」という2つの要素がある。学校で学ぶ数式や漢字などはコンテンツ。「学習する訓練」がトレーニング。後者によって、何歳になっても新しいことを身につけられるスキルが培われるという。

僕は高校生の時、大学受験に失敗して浪人を経験したのだが、今考えるとそれは大成功だった。あの1年は自分で勉強方法を考えに考え抜いて、猛勉強をし、1年で偏差値を20近く上げた。

あの時の経験は、着実に今役に立っていて、「(語学やテクノロジーの知識など)新しいことも勉強すれば何とかなる」と思えるし、効率的な勉強方法もなんとなくわかるのだ。まさに、落合さんが言っていることはそういうことだと思う。

 

プログラミングを学ぶ意味とは?

僕(ほぼ趣味で)プログラミングを勉強している。とは言え、実務で使うことはほとんどないので、自分でブログのHTMLCSSをいじる程度だ。

面白そうなので勉強を軽い気持ちで始めたが、「エンジニアになりたいわけでもないのに意味あるのかなという不安もあったりする。そこに落合さんが腹落ちする一つの答えを示してくれている。

筆者によると、プログラミングはあらゆる分野で求められるスキルの一つでコードもある程度は知っておいたほうが良い。しかし、それ自体が目的ではなく、読み・書き・そろばん同様に、目的ではなくツールである。ということだ。

そして、本書の中で、ひと昔前の英語とプログラミングを重ねている部分も面白かった。

英語は外来語として我々の日常生活に入り込んでいる。ある程度は理解しないと意思疎通ができないからだ。しかしご高齢の方の中には、「英語ってまるっきりわからないの」と英語そのものを受け付けようとしない人もいる。プログラミングがまるっきりわからないということは、将来的にはそういう立場になることを意味する。というのだ。

なるほど、と唸らずにはいられない例えだった。

 

日本のSTEM教育において、不足している4つの要素

STEM教育とはScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)を重視した教育方針のことで、現在最も注目されている教育分野だ。

落合さんによると、日本のSTEM教育において、以下の4つの要素が不足している。

・言語(言語をロジカルに用いる能力)

・物理(物理的なものの見方や考え方)

・数学(数学を用いた統計的分析や推定力)

・アート(アートやデザインの鑑賞能力審美眼) 

 上の3つ(言語、物理、数学)は、その有用性も明確で、イメージがつきやすいように思う。ビジネスの基盤になる能力だと思う。

ただ、4つめの「アート」はなかなか直接的な有用性を感じられにくいので、難しいテーマだと思う。アートやデザインなど、数値では表しにくいものへの感性を、どう高めるか、というのは一般人には理解するのが難しいと思う。

しかし、以下のようにとてもわかりやすい例が本書では示されていた。

 たとえば、晩年のモーツアルトの音楽を聴いて、「信じられないほど美しい曲だ」と感じる人もいるし、「なんだか悲しそうな曲だ」と感じる人もいるかもしれません。

 しかし、解説書に「この曲を作った時、モーツアルトは病に伏していたためか、この曲にはどこか悲壮感が漂っている」と書いてあるのを思い出しながら聴いて「この曲には悲壮感が漂っているよね」と述べたとすれば、それは前提知識をなぞっているだけで、鑑賞する感性は磨かれてはいません。

 

  アートを鑑賞する時の入り口は、歌舞伎や能でもアイドルのコンサートでもよいのです。自分の好きなジャンルでよく観察して思考を巡らせてみましょう。そして、アートからサイエンスを感じ取る感覚を大事にしていると、自分なりのコンテクストがつかめてきます。

 

こう言われるとアートへの認識が楽になる人も多いのではないだろうか。アートやデザインへの感性を磨くために、歴史や専門知識だけを蓄える必要はない。何かを見て、自分がどのように思うのか、感じるのかということに向き合うこと自体が重要なのかもしれない。

ビジネス上の成功は、理屈を積み上げていって生まれるとは限らないというのはビジエンスマンの多くが日々感じていることだと思う。過去の積み上げだけで考えていくと、時にそのビジネスはじわじわと縮小してしまうものだ。

時には左脳だけに頼らない右脳的な発想を飛躍させることも重要で、そのためにアート的な観点が必要なのだと思っている。