しがないマーケターの戯言

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「英語は通じればいい」は本当か?

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ある時、とある外資系のメーカーで働く女性が、「英語は通じればいい」という話を飲み会で力説していた。果たして本当にそうだろうか?

「英語は通じればいい」という人のよくある主張

その女性に限らず、「英語は通じればいい」という人のよくある主張は以下のようなもの。

・細かい文法を間違えても気にする人はいない

・外国人だって文法が正確でない英語を使う

・英会話の先生の細かい訂正は不要

こういった主張に対して、一部は賛成だし一部は賛成できない。もちろん、英会話の第一段階として、まずは通じることが大切というのは同意。それが英単語の羅列であっても。

そして確かに、例えば外国人が「私は、そのメールを読みましたデス」とか言っても意味は問題なくわかるし、あえて指摘もしないだろう。それと同じで、英語で「I was~」というべきところを「I am~」と現在形で言ったり、「a」や「the」などの冠詞が抜けたりしても意味が通じれば問題ない場面が多いのは事実だと思う。

英語学習の目的が、旅行や趣味なら単語の羅列でOK

まず、英会話を学ぶ目的が、海外旅行のためであったり、プライベートで友人と話すためという場合は、単語の羅列で全く問題ない。とにかく英語を話してみて、伝わったという楽しさ・うれしさを味わうことで十分だ。個人的にはそれだけでも語学を学ぶ価値はあると思っている。

しかし、いくら「英語は伝わればいい」といっても仕事で英語を使うなら、単語の羅列では不十分だと考えている。例えば「この書類をマーケティング部の部長の意見を踏まえて修正し、再度お送りするので、ご確認ください」と単語の羅列で言えるだろうか。単語の羅列で伝えるほうが難しそうだ。

基本的な文法はマスターしていることが前提

そして、仕事で英語を使う人で「英語は伝わればいい」と言っている人に、もしも中学英語を使いこなせていない人がいれば、それは問題だ。「『細かい』文法の訂正は不要」という主張の前提には、「大部分は合っている」ことが求められる。

仕事だからといって、難しい文法を使うべきと言っているわけではない。「英語は伝わればいい」という前提には、中学英語くらいのベーシックな文法を、「知っている」だけではなく基本的には「使える」というレベルであるということが求められるということだ。

コミュニケーションとしての英語を身につける

では、単語を知っていて、基本的な文法を知っていれば、あとは「意味が伝わればいい」のだろうか。もし仕事で英語を日常的に使いたいならば、これでも不十分だと思う。それは、「シーンに応じたコミュニケーション」として英語を使う必要があるからだ。

例えば、クライアントが来社した時に、「ここに座って待ってろ」と言う表現しかできない外国人に仕事を任せられるだろうか。「こちらで少々お待ちください。上の者を呼んで参ります」と言えたらベストだが、せめて「こちらでお待ち下さい」くらいは言えて欲しいものだ。「ここで座って待ってろ」でも意味は伝わる。でも仕事で英語を使う以上は、最低限の「適切な表現」というものが求められると思う。

関係性を構築するための英語を学ぶ

さらに言うと、関係性を構築するための表現を身につけることは非常に価値がある。例えば会議の中で、相手の意見に対して「私は賛成できません」「違うと思います」とダイレクトに表現するのが適さない場合は山ほどあるはず。その時に、I understand your opinion, but (あなたの意見はわかるのですが、むしろ~)や「Can we think another idea(他の案も考えられませんか)など、相手と上手く関係性を築きながら議論するための英語力を身につけることは非常に価値があると考えるのだ。こういった、相手との関係性を築くための表現を「Diplomatic language(外交的な言葉)といったりする。

日本語で考えたら、こういったコミュニケーションをとるのは当然だ。いくらアメリカ人がダイレクトに表現すると言っても、こういった相手への配慮は当然している。

まとめ

旅行や趣味の範囲で英語を使うなら、単語の羅列でもなんとなく伝わればいい。ただ、仕事で英語を使うのであれば、基本的な文法のマスターと、「コミュニケーション」として相手との関係性を構築し、配慮できる英語力が必要だ。