法事で実家に帰った。
もう10年ほど前に亡くなった祖父が残したこの書道の作品は、西薇山(にし・びざん)という江戸時代~明治初期の岡山県の教育学者の作品らしい。
人望の厚い祖父
僕の地元はそれはもう相当な田舎で、祖父はもちろん大学教育なんて受けているはずもない。それでも、祖父は書道を愛し、備前焼を愛し、絵を愛していた。なぜか、教養がある人物だったのだ。
そのせいか、周囲からは頼りにされていて、近所の人たちの世話や、お寺の住職の相談役までやっていたらしい。
電車が1時間に1本しか通らないクソど田舎で、祖父は有名人でもなんでもなかったが、葬儀にはかなりたくさんの人が来てくださった。
そんな人望が厚い祖父を、僕は尊敬している。
「水如淡」の意味
さて、そんな祖父が残したこの書道作品に書かれているのは「水如淡」。
「淡きこと、水の如し」である。
中国の哲学者、荘子(そうし)の言葉が起源の故事成語である。
「教養のある人物の人付き合いは、あまり深入りせずに、淡い水のようにあっさりとして流れるようだ。そのほうが良好な人間関係を築けるものだ。」という意味らしい。
この言葉に、強い共感を覚えた。下記の以前の記事にも書いたが、深入りする人間関係は、人に期待しすぎることにつながり、怒りや妬みにもつながる。
他人に期待しすぎてストレスを溜める生き方は、人間関係も人生も豊かにはしない。「人は人、自分は自分」で生きていきたいものだ。
言葉の意味を知り、この言葉と作品を残した祖父が、厚い人望を得ていたことも、理解できるような気がした。