しがないマーケターの戯言

読んで学んで、物を書/描く。

東京で育ったAさんと、田舎で育った僕の人生

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東京で生まれ育った人生と、田舎で生まれ育った自分の人生の対比が感じられた話。

東京で育つ人生

あるAさんの家族は、良くできている。父は有名大学の教授で、母は元教師。都内に家を持つ。話すと、その人からも育ちの良さがよく伝わってくる。しかし親がきちんとしている分、期待も大きく、子どものプレッシャーも小さくはないようだった。

考えると、Aさんと自分は、全く異なる人生を送ってきたんだろうと思う。東京で生まれ育つとはどういうものなのか。全く想像がつかない。

その街は日本の中心で、新興国の勢いには敵わないとは言え、世界有数の大都市であることには変わりない。電車は5分間隔で絶え間なく流れ、百貨店が各所にあり、あらゆるファッションブランドがひしめき合い、映画館だってそこらじゅうにある。必要なものは何でも揃うのだ。

就活だってそうだ。あらゆる企業がすぐそこにあり、そこで働く大人たちを間近に見ることができる。大学の先輩たちだって直ぐ近くで働いているのだから、自分が社会に出る姿をイメージできる。企業説明会や選考もほとんどがすぐ近くで完結する。

田舎で育つ人生

一方、僕は岡山のさらに田舎で育った。

田んぼと住宅地が広がり、遊びはテレビゲームか、学校のグラウンド、川で釣りをするくらいだろうか。中学生になると、街にたった1軒だけあるカラオケ屋に行ってたむろする。映画館やショッピングモールなんてもちろんない。ませている子は電車で30分以上かけて市内に出かけてやっと映画館に行けるくらいだ。その電車も340分に1本しか来ないのだ。もう少し田舎に行くと、1時間に1本の電車になるが、それも全く驚かない。

そして、母親は地元の女子大を出ているが、父親は大学も出ていない。父は数年前に亡くなったが、個人経営で破産寸前の音楽教室を営んでいた。母はそこでピアノの先生を細々と続けていた。

親の知らない世界で生きるということ

そんな環境、家庭だったので、逆に良いこともある。

僕は昔から勉強がある程度できたため(もちろんそれなりの努力もしていた)、県内の進学校と言われる高校に進み、浪人はしたものの、関西の国立大学に進んだ。そして、今では東京の企業で働き、海外の大学院で学んでいる。率直に言って、僕は親が知らない世界を見続けてきた。だからこそ、親に自分の進路に対して口出しされたことが1度もない。勉強しなさいと言われたことすらなかった。

Aさんのように、プレッシャーなんて1ミリも感じたことはなかった。ある意味、この環境で生きてきたことは、幸せだったのかもしれないと思う。もし、ずっと地元で過ごしていたら、こうはいかなかったかもしれない。ずっと地元で生きている親にとっては、東京で働く、そしてマーケティングを仕事にする、なんてことは、想像もつかないことだろう。

 

今はAさんと同じく東京という街で生きながら、その歩んできた人生と環境は大きく違うことを感じ、そして、都会で生まれ育つということへの憧れも感じつつ、自分の歩んできた環境のありがたみも感じた。