しがないマーケターの戯言

読んで学んで、物を書/描く。

夢を追い求めることと、幸福度は矛盾しないか

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山口絵理子さんの「裸でも生きる」を読んで考えたことをもう1つ。夢を追うことと、「幸福であること」は矛盾しているんじゃないだろうか、という話。

山口絵理子さんの熱さ

山口さんは桁外れに強い想いを持った人だ。僕がこの本を読んで、一番泣けたシーンをご紹介したい。バングラディッシュの工場のメンバーに、バッグ職人の技術を伝えるために自らバッグのデザイン学校に通って先生に厳しく指導されているエピソード。何度も先生に厳しく怒られて、ついに彼女の中で何か爆発してしまう。

「私は・・・、先生は知らないと思うけれど、そして素人だっていうのはわかっているけれど、日々、営業回って、卸先探して、デザイン画描いて、講演をして、取材を受けて、長期戦略考えて、バングラディッシュの工場とコミュニケーションとって、時間があればいつもバッグを見に行って、マネジメントして、手書きのメッセージ書いて、自分でダンボール箱に詰めて郵送して、そんなことをしながら、バッグの学校に通っている、私は職人ではなく社長なんです!それでも先生から吸収できることは全部吸収したいと思っています。叱られても、バングラデュッシュの工場のみんなに技術を伝えたいから、だから・・・」そう言いながら、ボロボロ涙が流れてきた。先生も、目が真っ赤になっていた。私はそんな先生の顔を見て、先生の愛情をはじめて感じた気がした。

山口さんの気持ちの熱さがダイレクトに伝わってくるシーンだ。自己実現欲求を超えた「自己超越欲求」とも言えるこの使命感によって、山口さんは多大なる実績を作っている。

*「自己超越欲求」は、マズローの5段階欲求のさらに上に位置すると言われている「自分だけではなく、他者も豊かにしたい」という欲求のこと。

「ポジティブ心理学」的な視点で

大学院の授業で、「ポジティブ心理学」なるものに出会った。「人の幸せとはなにか」ということを考える分野だ。その中では、「人は何かを得ると、さらに欲しくなる。1000万稼いでいる人は、2000万欲しいと思うし、1億稼いでいる人は3億欲しいと思う。欲求というものは際限を知らない。」とか、「生活するために不自由しない額の収入を得られると、それ以上収入が増えても、幸福度はあまり変わらない」とかいった考え方が紹介される。

つまり、幸福は相対的であり、自分がその現状を幸せと受け取るかどうかにかかっているというのが一つの考え方だ。

この考え方に則ると、上記で挙げたような山口さんのような強い自己超越欲求を持っていることは、逆に山口さんを不幸にしている側面もあるのではないだろうか。山口さんは、慶応大学を卒業して、周りの学生と同じように、日本企業から内定をもらっていた。バングラディッシュで起業するという、こんな破天荒な道を選ばなければ、バッグを作りながら毎日叱られたり、工場の現地人に裏切られたり、そんな辛い体験はせずにすんだかもしれないのだ。

野心を持つことは不幸なのか

自分自身についても、似たようなことを考えることがある。もちろん山口さんほどの強い使命感や夢をもっているわけではないが、僕ももっと勉強したいことがあったり、憧れのキャリアがあったりする。だから、職場を変えることを選んだり、大学院で勉強したり、英語を勉強したりもしている。

一方で、地元の友達の中には、地元で就職して早く結婚して子供をもって家を買っているような、自分の生きる道を20代で固めちゃう人もいるわけだ。

そういった友達が、幸せな家庭を築いているのをSNSで見ながら、自分のやりたいことやなりたい姿があって、いろいろともがいている自分とどちらが幸せなのだろう、と思うこともある。

夢と幸福の両立

自分の夢を求めて努力すること、もがくことと、それも含めた現状に幸せを感じることは両立するのだろうか。「あー、しんどいー、つらいー、でもこんなに色んなことに挑戦できて幸せー!!!!!」と思えると、夢と幸福は両立できたりするんじゃなかろうか、と思ったり思わなかったり。